反対の声を無視し、庶民にとって大切な場所や財産を奪ってでも無理やり強行していくというのが、「IR誘致」のカジノ計画の基本的な実態である。
そんなカジノ誘致の身勝手な実態がもっともあらわになっている場所は、やはり長崎県のハウステンボスだろう。
ハウステンボスにカジノを誘致するという計画と、その計画にまつわる二転三転するトラブルや反対運動は、「いかにカジノが必要ないか」ということを証明するような様相を呈し続けている。
そもそも子ども連れの家族やカップルたちでにぎわう牧歌的なハウステンボスという場所に、カジノを誘致するという発想自体が普通なら出てこない異常さだ。
だが、「金」や「利権」だけが優先されると、こういった人の心や暮らしを無視した間違ったことは、平気で決断されてしまう。
ハウステンボスのカジノ誘致はその代表的な悪しき例だろう。
ハウステンボスの社長も気づき始めたカジノのお粗末な計画
初めは誘致に協力的だったハウステンボスの社長も、お粗末かつ経済効果がのぞめないであろうIR計画の実態が明らかになってくると、「カジノなしでもハウステンボスは営業ができる」と一転して手の平を返している。
反対派の庶民からすると「だったら初めから誘致に協力するなよ」と言いたくなるところだが、あくまで「経済原理」でしか動かないのが一般的な「社長」という生き物の習性である。
「目先の利益がありそうなら協力するし、どうも損しそうなら手を引く」という、ハウステンボス社長のあまりにも「社長すぎる態度」によって、長崎のハウステンボス以外のすべてのIR誘致計画の杜撰さもまた、告発された形になるのではないだろうか。
カジノ誘致側とハウステンボス社長の当初の思惑とは別に、ハウステンボスが「インバウンドによる日本経済の出島」になる可能性はほとんどないと言っていい。
仮に強行してハウステンボスにカジノが誘致されたとしても、閑散とした営業と、早期の廃墟化が予想される。
だって、今はカジノ誘致なんてなくてもオンラインカジノがあるのだから。
私が見たオンカジボーナスのすすめというサイトには有名オンラインカジノのボーナス情報がズラリと載っている。
ハウステンボス社長の「カジノがなくても運営できる」という判断は、遅すぎた判断だとはいえ、ひとまずは正しいということになるかもしれない。
ハウステンボスのカジノ誘致はおそらく強行されるだろう
しかし、ハウステンボス社長の発言とは関係なく、「IR推進派」の佐世保市長が選挙で引き続き当選してしまったため、おそらくハウステンボスのカジノ誘致はハリボテと化した「経済効果」というお題目のもとに強行されてしまうだろう。
ハウステンボスのカジノ誘致による「経済効果」に関しては、誘致の段階から疑問視の声が出ており、その声は、実現が近づくにつれて日増しに大きくなっている。
この疑問視の拡大は、大阪のIR誘致などでも同様である。
だが「一度決めたことはどんなに問題があっても強行する」というのがインパール作戦以来おなじみの国民性の日本である。
そういった疑問視の声は無視される形でハウステンボスのカジノ誘致は2027年を目途に絶賛進行中であり、庶民の血税はカジノに投入され続けている現状がある。
IRカジノ誘致で発生した不足財源を補うための増税も、当然起こるだろう。
この増税は九州全域まで搾取の範囲が広がることが予想されている。
ハウステンボスのカジノ化によって失われるものは他にも多い。
まず、カジノ施設が建設されるハーバーゾーンはマイケル・ジャクソンが泊った由緒あるホテルなども含めて、すべての歴史や思い出が「更地」となって、なかったことになってしまう。
また、カジノ誘致にあわせて「水不足」を懸念して建設される予定の石木ダムは、石木郷の人々の土地や住居、豊かな自然環境を根こそぎ奪い、破壊することになるだろう。
ハウステンボスのカジノ誘致によって奪われるのは、長崎県の明るい未来である。
現在、カジノに反対できなかった世代の子供や孫たちが、いまのカジノを許したことによって背負わされた負債のケツを拭くことになるのだ。